【すてきな血を受け継いで】ニシノデイジーの血統と伝説|西山牧場の希望を継いだ名馬の物語

コラム

すてきな血を受け継いで──ニシノデイジー、希望の跳躍

中山競馬場の空は、どこか名残惜しそうに光を残していた。
12月の冷えた空気の中、夕陽がスタンドを斜めに射し、ファンファーレが遠く響いたその瞬間。

まるで“あの花”がもう一度、咲いたようだった。

2024年・中山大障害。
ひときわ注目を浴びていたのは、鹿毛の馬体を輝かせる一頭──ニシノデイジー

「すてきなもの」という意味の名を持つ彼は、これが最後の舞台だった。
そして、5馬身差の圧勝。
躍動の先に待っていたのは、歓喜と静かな別れ。

しかしその物語は、今ここで終わったのではない。
むしろ、ある一滴の“血”からはじまった長い物語の、ひとつの頂だった。

 

 

花の記憶──ニシノフラワーという奇跡

1992年、春の桜が舞う阪神競馬場。
小柄ながら目の覚めるような末脚で、牝馬クラシックの頂点に立ったニシノフラワー

彼女は桜花賞を制し、秋にはスプリンターズSも勝利。
スピードとしなやかさを兼ね備えたその走りは、まるで花びらが風に乗って舞うようだった。

西山牧場にとって、それは再生の象徴だった。
1970年代の輝きが色褪せ、低迷期に差しかかっていたその時。
牧場の生産馬から、再びGⅠ馬が誕生した。

「この馬が牧場を救ってくれた」
と、西山茂行オーナーは振り返る。

名牝・ニシノフラワーは、ただの勝ち馬ではなかった。
それは、牧場が守り抜いてきた“血の灯”だったのだ。

 

 

静かなる継承──セイウンスカイ、そしてニシノミライへ

時は流れ、1998年にはもう一頭のヒーローが誕生する。

セイウンスカイ
皐月賞、菊花賞と二冠を制した彼もまた、西山牧場が育てた名馬だった。
スタミナと闘志に満ちた先行力は、ファンの心を震わせた。

やがてこの二頭の血が交わることになる。

ニシノフラワーの娘、ニシノミライはセイウンスカイを父に持つ。
さらにその娘がニシノヒナギク、そしてその仔が、今回の主人公──ニシノデイジー

血は濃く、美しく、脈々と流れていた。
スピードと闘志、可憐さと芯の強さ。
ニシノデイジーはそれを受け継いで、この世に生まれた。

 

 

誕生と希望──谷川牧場で育った少年馬

2016年4月18日、北海道浦河町・谷川牧場。
朝霧に煙る牧草地で、ひときわ愛らしい鹿毛の牡馬が誕生した。

彼は生まれながらにして、宿命を背負っていた。
名牝ニシノフラワーの曾孫として。
二冠馬セイウンスカイの血を引くものとして。

しかし、その背中に押しつけられたものは“期待”だけではない。
「未来を託せる馬であってほしい」
西山茂行オーナーの静かな願いが、静かにその背に注がれた。

やがて彼はニシノデイジーと名付けられ、美浦の高木登厩舎へ。
そして2018年、競走馬としての一歩を踏み出す。

 

 

風に立つ少年──クラシック候補へ

デビュー戦は函館。
6月の海風が強い午後だった。

初陣で2着に敗れるも、続く2戦目で見事に初勝利。
そしてそのまま、札幌2歳S(GⅢ)へ。

ゴール前の激戦。
最後の一完歩で差し切ると、ファンの歓声が札幌の空に舞った。

続く東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)では、手綱を握った勝浦正樹騎手の巧みな導きも光った。
堂々たる勝利。
クラシック候補に名を連ねた。

血統馬の素質が一気に花開いた瞬間だった。

日本ダービーでは5着。
結果は届かなかったが、彼の気品と芯の強さは確かにあった。

しかしその後、彼は苦しむことになる。

 

 

迷いと静寂──燻る才能、遠ざかる勝利

3歳以降、ニシノデイジーは勝利から遠ざかった。
調子が上がらず、距離も展開も噛み合わない。

どれだけ血統がよくても、それだけでは勝てない。
競馬は、それほどまでに非情な世界だった。

ファンも、陣営も、焦りと悲しみを抱えながら、彼の背中を見守っていた。

しかし──デイジーは、まだ終わってはいなかった。

 

 

風を越える跳躍──障害という新たな道

2022年、ニシノデイジーは障害競走へ転向した。

最初は不安もあった。
軽やかだった彼の脚に、飛越の適性があるのか。
かつてクラシック候補だった馬に、再起の道があるのか。

だが、彼は答えた。
「自分はまだ走れる」と。

そして迎えた、2022年・中山大障害(J・GI)

五十嵐雄祐騎手の好騎乗に導かれ、最後の直線で抜け出すと──
ゴール前で堂々と抜け出した。

“あの血”がまた蘇った瞬間だった。

セイウンスカイの闘志。
ニシノフラワーのしなやかさ。
それらを宿した馬が、障害の頂点に立った。

 

 

ラストラン──2024年、中山で見せた真実の跳躍

そして2024年。
再び中山大障害に戻ってきたデイジー。

年齢は8歳。
ベテランとも言える時期に、もう一度GⅠに挑む姿は、どこか荘厳ですらあった。

そして──5馬身差の圧勝

「しまい勝負で切れるタイプじゃないので、最終障害と4コーナーでは先頭のイメージで進めました」
と五十嵐騎手は振り返る。

スタンドからは、惜しみない拍手と涙。
それは、血統の結晶が証明された瞬間だった。

 

 

種牡馬という新たな章──白馬牧場で受け継がれる夢

レース後、左前脚に軽い熱感が見つかり、陣営は慎重に決断した。
そして、2024年12月26日、競走登録を抹消。

2025年からは、北海道・新冠町の白馬牧場で、種牡馬としての道を歩み始める。

引退式は関係者のみで静かに執り行われた。
騎手、厩務員、調教師、そしてオーナー。
長い旅路を共にした者たちが見守るなか、彼は新たな門出を迎えた。

西山茂行氏はこう語る。

「西山牧場が産んだ最高傑作セイウンスカイの血をつなげるのは、この馬しかいません。
ニシノフラワーのクロスを作れる馬も、この馬しかいません」

その言葉に、すべてが宿っていた。

 

 

結び──すてきな血が灯る場所

ニシノデイジー。

その名の通り、彼は“すてきな宝物”だった。
闘う姿も、苦しみも、輝きも、すべてが本物だった。

名馬の血を受け継ぎ、傷ついても、転んでも、再び立ち上がる。

そして、次の世代へその“血”を紡ぐ。

西山牧場という名の物語は、また一歩前に進もうとしている。

──あの鹿毛の跳躍が、確かに“希望”だったと、私たちはきっと思い出す。

 

 

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