北の夏、夢駆ける──2024年札幌記念が刻んだ真夏の記憶
なぜ、夏のGIIはこんなにも心を熱くさせるのか。
その答えが、2024年8月18日の札幌競馬場にはあった。
青空は果てなく澄み、芝はまるで高原の絨毯のように風にそよぐ。
蝉の声と観客のざわめきが混ざり合い、陽炎が馬道に揺れる。
60回目の節目を迎えた札幌記念。
歴史の節々に名馬の名を刻んできたこの舞台に、また一頭、記憶に残る馬が現れた。
刻まれた序章──札幌記念という舞台
札幌記念は1965年に創設された重賞競走であり、1997年からはGII格付けとなった。
過去にはハイセイコー、エアグルーヴ、ブエナビスタといった歴代の名馬が勝ち星を挙げてきた伝統のレースである。
近年は秋の天皇賞や海外GⅠへ向けたステップとしても注目を集め、いわば“夏の頂上決戦”。
暑さの続く8月に行われるにもかかわらず、多くの一線級が集結する理由がそこにある。
札幌の空気──2024年という時代背景
2024年、日本はコロナ後の回復期を経て、ようやく経済活動も日常を取り戻しつつあった。
7月下旬には消費者物価指数が前年同月比3.2%上昇。
エネルギーや食品の値上がりが市民生活を直撃する一方、地方観光地には人が戻り始めていた。
札幌市内ではビアガーデンが連日盛況。大通公園ではスマホ片手にアイスクリームを楽しむ若者や、海外からの観光客の姿が目立った。
為替は1ドル=160円超の円安水準が続き、海外遠征に挑む馬主・調教師にとっても計算が変わるタイミングだった。
札幌競馬場の風景──五感で描く開幕前
第2回札幌開催4日目、天候は快晴。芝は良。
馬場には陽光が降り注ぎ、スタンドには早朝から多くのファンが詰めかけた。
売店のソフトクリームは瞬く間に列を成し、隣からはジンギスカンの焦げる香り。
道産子ファンの熱狂と道外からの観光客が混ざり合い、場内は特別な活気を帯びていた。
発走──北の大地に響く蹄音
15時45分、11レース発走。
静寂と緊張のスタートゲート前。
その刹那、アウスヴァールが鋭く飛び出し、1コーナーを先頭で通過。
2番手に収まったのは、岩田康誠騎手騎乗のノースブリッジだった。
1000m通過は1:00.5、GIIにしてはスローペース。
この緩やかな流れは、前に行った馬にとって好都合。
勝負の分かれ目──岩田康誠の決断
3コーナーを過ぎたあたりで岩田騎手の手綱が軽く動いた。
直線入口、手応えよく外に持ち出されると、ノースブリッジの脚が一気に伸びた。
追撃してくるのはジオグリフとステラヴェローチェ。
だが、勝負所での仕掛けのタイミングが絶妙だった。
残り100m。後続の脚色が鋭くなるも、その差は詰まらない。
ノースブリッジ、堂々の逃げ切り。
勝利者たち──記録と称賛
勝ち馬:ノースブリッジ(牡6)
厩舎:奥村武(美浦)
騎手:岩田康誠
生産:村田牧場(北海道新冠町)
馬主:ゴドルフィン
タイム:1:59.6(上がり3F:35.5)
通過順:2番手から押し切り
着差:2着ジオグリフに1と3/4馬身差
岩田康誠騎手にとってはJRA重賞通算112勝目。
奥村武調教師にとっても札幌記念は初勝利となった。
敗者にも光──上位馬の奮闘
2着のジオグリフ(C.ルメール騎手)は、後方から力強く差を詰めたものの届かず。
3着のステラヴェローチェも、58kgの斤量を背負いながら健闘を見せた。
4着に入ったのはプラダリア(横山和生騎手)。
上位4頭はすべてGⅠ出走歴のある実績馬たちであり、ハイレベルな争いだったことがうかがえる。
血統の物語──ノースブリッジの背景
ノースブリッジの父モーリスは、2015年の天皇賞(秋)や香港マイルなどを制した名馬。
母アメージングムーンはフィリーズレビュー3着の実績があるスピード型。
祖母ラヴファンタジーは牝系の起点であり、活躍馬を多く輩出している。
「スピードと持続力」のバランスがこの馬の最大の武器であり、それが札幌記念の舞台にぴたりと嵌った。
観客の記憶に残る夏
レース後、ウイナーズサークルに向かう岩田騎手に向けて、大きな拍手が送られた。
歓声ではなく、まるで喝采のようなあたたかい拍手。
場内では「もう一度、今年の秋が楽しみになったな」という声も。
それは一頭の馬の勝利が、観客の心に物語を紡いだ証だった。
秋への布石──この一戦が意味すること
札幌記念は秋のGⅠ戦線への試金石。
ノースブリッジは昨年カタールに遠征しており、今後は香港Cや天皇賞(秋)も視野に入るかもしれない。
陣営コメントによれば「ようやく完全に仕上がった」とのこと。
“成長力”こそが6歳にしてこの馬が輝きを放つ理由なのだろう。
結び──風と共に刻まれた記憶
蹄の音は、芝を叩くたびに大地の鼓動を伝える。
そして、その音が夏の札幌に刻まれる瞬間がある。
ノースブリッジが刻んだ2024年の札幌記念は、決して派手なものではなかった。
だが、確かに心に残る、そんな“重さ”と“静けさ”を備えた勝利だった。
来年、再びこの舞台に立つ馬たちは、どんな風を味方にするのだろうか。
そして、あなたの心にはどんな馬の記憶が残っただろうか。
夏の札幌記念──それは、五感に触れる“競馬という芸術”の一ページである。
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